大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和23年(レ)77号 判決

控訴人は被控訴人に対し京都市右京區花園艮北町二十三番地所在木造瓦葺二階建住宅一棟のうち階上十六坪を明渡せ。

訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とする。

本判決は被控訴人に於て金二千圓の担保を共するときは假りに執行することができる。

二、事  実

控訴代理人は原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求め、なお当審に於て本訴請求を主文第三項同旨の判決を求める趣旨に減縮した。

被控訴代理人は請求の原因として、被控訴人は京福電氣鉄道株式会社に勤め、同社の株式課長の職にあるものであつて、訴外近藤から同訴外人所有の被控訴人肩書地所在家屋を借受け妻と当二十七年の娘と共に、こゝに居住しているものであるが、右家屋は平家建であつて疊数は十二疊にすぎず娘に婿養子を迎ふるに当り狭隘である上に、訴外近藤から同訴外人方は木造瓦葺平家建疊数十九疊半のところに家族合計七人が起居し殊に終戰後同訴外人の弟家族四人が台灣から引揚げ同居するようになつて益々狭隘となつたことを理由に昭和二十二年以來控訴人はその現住家屋の明渡を求められるに至つたので、やむなく自ら居住する目的で昭和二十二年三月二十九日控訴人が賃料月六十圓で訴外中川庄治郎から賃借して居住している京都市右京區花園艮北町二十三番地所在の家屋一棟を買受け、茲に右中川と控訴人間の賃貸借に於ける賃貸人たる地位を当然承継するに至つた。そこで被控訴人はその頃控訴人に対し前記事情を告げて、右賃貸借契約解約の申入をなし、本件家屋の明渡を求めたが、控訴人はその後借家法所定の六ケ月を過ぎても未だその明渡をなさない。而してこの間圓満なる解決を希望する被控訴人は京都市右京區嵯峨観空寺岡崎町及び京都市下京區御前通綾小路に控訴人の移轉先を提供し、或は本件家屋の一部を改造することにより同居を懇請するも被訴人は何等納得し得る理由もなくこれを竣拒しているものであるが、本件家屋はその疊数の室は階下に六疊、四疊半、四疊、二疊、二階に八疊、六疊、三疊の計七室あるのに対し控訴人の家族は総計四人であるから、その一部たる二階十六坪を明渡しても控訴人に甚しい苦痛を與えるものではない。仍つて被控訴人はこの部分につき少くとも解約の正当性を有するものであり控訴人は被控訴人に対しこれを明渡すべき義務あるものであるから、その明渡を求めるため本訴請求に及んだものであると述べた。

控訴代理人は答辯として、被控訴人がその主張の日時に控訴人が訴外中川から賃料一月六十圓で借受けて居住している本件家屋を訴外中川から買受けたこと、被控訴人から控訴人に対し被控訴人主張の日時に解約申入のあつたことは認めるが被控訴人と訴外近藤との間の事情は関知するところでない。仮りに被控訴人と訴外近藤との間に被控訴人主張の如き事情があるとしても右の事実は被控訴人と控訴人間の賃貸借に何等影響を及ぼすものではないから、これを以て右賃貸借契約解約の事由とするを得ないものである。仮りに右の如き事由も叉解約の事由となし得るとしても、借家法第一條の二が正当事由ある場合に賃貸人が賃貸借契約を解約し得る旨規定するのは賃貸借が継続的債権関係である爲、賃貸借関係成立後、新な事由が発生したことにより賃貸借を継続することが出來なくなつた賃貸人を保護しようとするものであるから、その解約事由は必ずや賃貸借関係成立後に新に生じた事由でなければならない。然るに被控訴人の解約事由として主張するところは被控訴人の主張自体により明らかであるように被控訴人が控訴人に対する賃貸人たる地位を取得した後に生じたものではないから、被控訴人の解約申入は不適法であつて無效である。仮りに右解約申入が適法であるとしても被控訴人の本件家屋買受け当時、敢えて賃借人の居住する家屋を求めなくても他に直ちに住み得る空家も数多存在していたものであるのに、空家はその賣價が高價であるところから被控訴人は控訴人の賃借居住していることを知悉しながら又これが爲に安價なる本件家屋を買受けたものであるから、斯くの如きは自己の利益のために賃借人を犠牲にするものに外ならず、信義則に反するものとして、その解約の申入は無效である。而も控訴人の二女昌代当十八年は肺結核で病臥中である上控訴人の妻も身体虚弱であるから他人との同居は到底不可能であると述べた。<立証省略>

三、理  由

被控訴人がその主張の日時に控訴人が訴外中川庄治郎から賃料一月六十圓で借受けて居住している本件家屋を訴外中川から買受けたこと、被控訴人より控訴人に対し被控訴人主張の日時に賃貸借契約解約の申入があつたことは当事者間に爭いがなく、当審証人中川庄治郎の証言並びに当審に於ける被控訴本人訊問の結果によれば昭和二十二年三月二十九日訴外中川から被控訴人に対し本件家屋の所有権移轉登記が爲されたことを認め得るから、被控訴人は当然に前記訴外中川と控訴人間の賃貸借に於ける賃貸人たる地位を承継したものであるといわなければならない。

而して原審並びに当審に於ける被控訴人本人訊問の結果によれば被控訴人は京福電氣鉄道株式会社につとめ、同社の株式課長の職にあるものであつて、訴外近藤より同訴外人所有の被控訴人肩書地所在家屋を借受け、こゝに妻及び当二十七年の娘と三人で居住しているものであるが、近く娘に婿養子を迎えるに当り該家屋は平家建で疊数十二疊しかないために狭隘であること及び右家屋の所有者である前記近藤氏は、その居住する家屋は同じく平家建であつて疊数約二十疊足らずのところに家族七人が起居し剩さえ終戰により台灣から同訴外人の弟が家族四人と共に引揚げて同居するに至つた爲、被控訴人居住の家屋の明渡を請求するに至つたので被控訴人は控訴人が賃借居住していることを知り乍ら本件家屋を自己使用の目的で買受けたものであることを認めることが出來る。控訴人は斯る被控訴人対訴外近藤間の事情は被控訴人対控訴人間の賃貸借に何等影響を及ぼすものではないから右事由を以て解約の事由とするを得ないと主張するが、賃貸人に於て賃貸家屋を自ら使用する必要性、解約を申し入れる正当性を有する以上そのよつて來つた縁由の如何はこれを問わないものであるから本主張は採用の限りでない。控訴人は借家法第一條の二に所謂正当事由に該当する解約の事由は賃貸借関係成立後に賃貸人に生じた理由でなければならぬと主張する。なるほど賃貸人の解約告知権に強い法的制限を加えた借家法第一條の二の規定の解釈としてこの理は一般には妥当するものとはいゝ得よう。併しながら、この理を以て新家主を例外なく律する絶体的なものと即断するのは謬見である賃貸借という継続的法律関係を支配するものは信義と誠実の原則であり賃貸人の権利の行使は信義則を逸脱する限り、その效力を否定されねばならぬ。賃貸人として賃借物を利用することを基盤として成立している賃借人の社会生活関係をみだりに脅かし破壊することは許されない。賃借人の地位を失わしめてもやむなしと納得するに足るだけの理由乃至利益を賃貸人が有するときにのみ賃貸人の一方的解約は認めらるべきである。借家法はこの法理を正当事由という語辭を用いて宣明したものである。自己使用の必要があつて、その目的で他人の賃借中の家屋を買受けた新家主は買受けによつて忽然賃貸人の地位に立ち賃貸人の権利を有するに至つた。而もこれは法的には勿論賃貸借関係に結ばれることを承知の上のことでありながら、動機から言えば、この関係に結ばれることを拒否するものである。新家主の自己使用というのはその反面に於て借家人を追立てる意図以外の何物でもない。新家主は一般には実質的正当性を見出し難い。それは信義則を逸脱し衡平の観念に背反することが明白だからである。併しながら、また特段の事情があつて信義と衡平の観念に悖らないならば前述の理は自ら異つて例外として、この種新家主の解約申入を目して実質的正当性を缺くものとして直ちに否定し去り得ないものである。從つて被控訴人の解約事由が賃貸人たる地位を取得する以前に発生していたことを以て、これを理由とする解約申入が直ちに不適法にして無效であるということは出來ない。

控訴人は被控訴人が本件家屋を買受けた当時、敢えて賃借人の居住する家屋を買受けなくても他に直ちに住み得る空家の賣家が多く存在したものであるのに、被控訴人は控訴人が居住するが故に本件家屋を安く買受けたものであるから、右は畢竟自己の利益のために賃借人たる控訴人の利益を犠牲にする信義則に悖るものであると主張する。勿論当時に於ても空家の賣家が絶無でなかつたことは当裁判所に顯著な事実であるが、空家がその値段が極めて高價であつたことも又当裁判所に顯著な処である。從つて当時空家の賣家を見付ける事が不能でなかつたということを以て、賃借人の居住する家屋を買受けたことを直ちに信義則に悖る行爲であると断ずることは出來ない。その標準は新家主の資力及び新家主の自己使用の必要性に於ける緊急性等に求むべきものである。然るとき被控訴人は前段認定の通り一介の俸給生活者であり、資力に余裕あるものと認め難い上に訴外近藤の被控訴人に対する明渡請求は相当に急なるものがあつた事を認め得るものであるから控訴人の本主張も又採用するを得ない。

以上を要するに、凡そ解約の正当事由ありとするには当事者間の諸事情と一般社会情勢に対する愼重なる考慮のもとに解約の成否によつて賃貸人の受けるであろう利害得失と賃借人の被るであろう苦痛損害とを比較し賃借人が譲歩するを相当とする事情か存しなければならない。從つて賃借人が全面的に讓歩すべきであれば解約の正当性は賃貸借全部に及び、もし一部の讓歩が相当ならばその限度に於て解約の正当性が存し賃貸借の一部解約が生ずるものというべきである。今この見地より本件当事者の事情を見るに被控訴人側の事情は前段認定の如くその肩書地現住家屋を明渡さねばならないさし迫つた事情にあるのに対し控訴人側の事情は成立に爭いのない乙第一号証、当審に於ける証人北田ふみの証言、原審並びに当審に於ける控訴人本人訊問の結果、当審に於ける檢証の結果を綜合すれば控訴人は京都府畜産農業販賣協同組合連合会の技師であつて同組合から受ける俸給により妻及び当十八年の次女、当十六年の長男の一家四人の生活を維持するもので、殊に次女は肺結核を病み多年療養中であるから、今日の如き住宅難の折柄、他に住宅を買求める充分の資力はないものであること、然しながら、その居住する本件家屋は疊敷の室として階下座敷六疊、隣室四疊、台所四疊半、玄関二疊階上は座敷八疊の外六疊、三疊の合計七室あつて、その間取は玄関二疊から直ちに二階に昇降し得る構造になつていて起居には余袷あることを認めることが出來るから以上双方の事情を比較するときは、控訴人の賃借人としての地位を全面的に失われしめては控訴人は病弱なる娘を抱え剩え深刻な住宅難は控訴人の生活を破滅に導くであろうから本件家屋の部分的にせよ居住の最少限度の必要を配慮して保護されねばならぬし被控訴人一家も控訴人を同居せしめつゝ本件家屋の一部分を使用すれば満足すべき筋合である。而してこれを前段認定の本件家屋の間取構造家族の状況に照して考えれば被控訴人は控訴人に対し本件家屋階上全部についてのみ解約を申入れる正当事由を有するものにして控訴人は被控訴人に対し本件家屋の階上全部を明渡す義務かあるものと解するを相当とする。

果して然らば控訴人に対し本件家屋のうち階上十六坪の明渡を求める被控訴人の本訴請求は正当であるので、これを認容すべく、これと同趣旨の原判決は相当であり本件控訴は理由かない。併し当審に於て被控訴人は本訴請求を主文第三項の限度に減縮したので原判決はこの限度に於て變更することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五條、第八十九條を仮執行の宣言につき同法第百九十六條を適用して主文の通り判決する。

こうしてこゝに控訴人と被控訴人は同居生活を営むことになる。同じ屋根の下に二つの世帶が生活を営むには日本家屋の構造は適当ではないためやゝもすればトラブルを起し易い。円満な共同生活は相互に相手の地位、立場を尊重理解し自己の態度に常に反省を加えて協調融和を図ろうとする念慮とその努力があつてこそ樹立されるものである。なお玄関、便所、勝手元等は控訴人の支配するところとなるが被控訴人が同居する以上その必要の限度に於て被控訴人がこれを使用することにつき控訴人が受忍義務を負うものであることはいうまでもない。而して被控訴人が本訴に於て表明した二点即ち控訴人が特に必要を感じ被控訴人もあえて支障を生じない場合に於て二階八疊の室を控訴人の使用に供すという点と控訴人方と被控訴人方の二世帶別個独立の生活を能う限り完全ならしめるために本件家屋に適当な模様替を施すという一点はまさにかくあるべきで当裁判所はその実行実現を信じてやまないものである。

(裁判官 平峰隆 藤原啓一郎 鰍沢健三)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!